幕末から明治を駆け抜けた、斎藤一の墓がある「阿弥陀寺」


会津若松市の阿弥陀寺は元新撰組の斎藤一にゆかりがあるお寺です。
1603年、良然上人が蒲生秀行から土地を賜り開山されたのが始まりとされています。
新選組三番隊隊長であった斎藤一は、戊辰戦争の際、「会津を見捨てることはできない」と、北へ向かった土方歳三と別れて会津に残りました。戦争終結後、斎藤は藤田五郎と名を変えて警視庁に勤務し、西南戦争でも活躍しました。1915年に72歳で生涯を終えた斎藤は、後半生を会津人として生きたとの希望もあって、阿弥陀寺に葬られています。
戊辰戦争後の1870年、新政府軍に解体された鶴ヶ城の小天守にあたる御三階は、阿弥陀寺に仮本堂として移築されました。外観は三階建てですが、内部は四階建て。鶯張りという歩くと音の鳴る床、という特殊な構造で鶴ヶ城にあった時には秘密会議に使われていました。鶴ヶ城の遺構として、現存する唯一の建物です。
境内には斎藤の墓だけでなく、戊辰戦争で散っていった会津藩士たちの墓も並んでいます。
境内の玄関部分に飾られた葵の紋が、会津人たちの魂を今でも静かに見守り続けています。
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