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にゃんと?!また旅

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黒田官兵衛をも苦しめた荒木村重の〜有岡城〜

有岡城は現在の兵庫県のJR伊丹駅のすぐそばにありました。別名は伊丹城。織田信長が差し向けた大群が何か月も攻めあぐねるほどの堅固な城で、敷地も広大なものでしたが、今は石垣などわずかな遺構を残すのみです。

西国の雄・毛利家に向け、織田勢による中国攻めが本格化しはじめた頃、有岡城の城主・荒木村重は、主君である信長に対し謀反を起こします。信長は驚き、村重に考え直すよう促したそうですから、村重が信長からどれほど重用されていたかが想像できます。謀反の理由には諸説あり、現在も定かではありません。豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛が、村重の説得に出向き、この城の土牢に幽閉された事でも有名です。

有岡城は、城主・荒木村重が不在という意外な状態で落城の時を迎えます。村重は自分自身が直接、毛利への救援を求めるという名目で密かに城を脱出。城主を失った有岡城はついに落城。村重一族、重臣の家族、そしてそれ以外の人質、合計670人が信長によって惨殺されたと言われています。尼崎市七松町の七松八幡神社の境内には、その方々を弔う慰霊碑が残っています。

その後の信長の執拗な追跡からも逃げ延びた村重は、信長の死後、堺に戻り、後世に「利休十哲」と呼ばれる一人に数えられる程の茶人となります。自らを「道糞」と名乗っていたそうですが、秀吉が「道薫」へ改めさせたと言われています。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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