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諏訪氏の一族・有賀氏が築いた〜有賀城〜

長野県諏訪市の有賀城は、諏訪一族の有賀氏によって、鎌倉時代初期に作られたとされています。

東西約180メートル、南北約250メートルの規模で築かれた階段状の連郭式の山城であり、別名「天狗山城」と呼ばれます。

有賀氏は、「治承・寿永の乱」で源頼朝、「承久の乱」で北条義時に味方して鎌倉幕府の
厚い庇護を受けて勢力拡大を図る際に有賀城を築きました。以後、諏訪頼重家臣の有賀泰時が木曽福島城主の敵に内通したとして武田家臣の板垣信方に成敗されるまで、有賀城は代々有賀氏の居城としていたとされています。その後、信玄の命で原虎胤が入城し、入れ替わって千野靱負尉が入城した後は千野氏の居城となります。

江戸時代には「関ヶ原の戦い」の戦功により諏訪頼水が信濃諏訪藩の初代藩主として諏訪氏の旧領を拝領し、信濃諏訪藩家老の千野房清が有賀城に入城しましたが、1615年の江戸幕府による「一国一城令」によって廃城となりました。

現在では、曲輪や土塁、堀切、竪堀、横堀、石積みなどを見る事が出来ますが、城郭本体は再建されていません。主郭の背後にある堀切(ほりきり:外敵の侵入を妨害するために掘った溝のこと)は、深さが10メートルほどある巨大なものです。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=カタツモリ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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