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にゃんと?!また旅

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島津四兄弟の攻撃に屈した城〜綾城(あやじょう)〜

戦国時代の九州南部では、島津氏が勢力を広げようとしていました。

この頃の島津氏は優秀な人材が大勢集まって、とりわけ「島津四兄弟」は優秀でした。
そのため、勢力を九州全域へと伸ばしていこうとしていたのです。島津四兄弟…義久、義弘、歳久、家久の四人は、それそれが仲たがいすることなく、団結していていたことが強さの一つだったかもしれません。

その島津氏の標的となったのが伊東氏の綾城でした。この城は宮崎県綾町にあった山城で、足利尊氏の家臣が築いたと伝えられていて、戦国時代には伊東氏の城となっていました。

綾城の主である伊東氏と島津氏の争いは「九州の桶狭間」ともいわれ、「木崎原の戦い」もそのひとつです。この戦いは、伊藤軍三千の兵を島津軍三百の兵が破った戦いとして有名です。この戦いはすんなりと島津軍が勝ったわけではなく、島津軍も多くの被害を受けたと言われています。ただ通常であれば、軍が大きな被害を受ければ逃げることしか出来なくなりますが、そうならなかったのはそれだけ島津軍がまとまっていたからでしょう。

この戦い以降、伊東氏は衰退することになり、後に島津氏は九州でも有数の力を持つこととなります。そして、いよいよ綾城城に島津義久と義弘の軍が攻めてきたのですが、綾城を攻めたのは島津義久・義弘の兄弟でした。
弟・義弘は武勇に長けた武将で、猛将としても名が知られ、一方、兄・義久は冷静な人物で、戦局をしっかりと分析し、時流をつかむことに長けていたと言われています。この絶妙なバランスの兄弟に攻められ、綾城は落城を免れることはできませんでした。

伊東氏は綾城での戦いに敗れて滅亡し、綾城は島津氏のものとなりますが、江戸時代の一国一城令によって城は取り壊され、その姿は無くなってしまうのでした…。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
絵=磯嶺裕・ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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