base

にゃんと?!また旅

カテゴリー

youtube instagram facebook twitter

寝返りのすえに毛利氏に奪われた城~備中松山城〜

備中松山城は鎌倉時代中頃、秋庭三郎重信によって築城されました。1331年には城郭も拡大され、より規模の大きいものになりました。その後、室町時代、戦国時代と時代が移り変わっていく中で、治める城主も変わり、史実(史料)にこの城が本格的に登場するのは1570年、三村元親の代です。

記録によると、宇喜多直家と通じた庄氏に城が奪われますが、翌年には毛利氏の支援を受け奪還し、その後は新興勢力である織田信長の台頭で三村氏は再び毛利方を離れ寝返っています。そのため松山城は、今度は毛利氏の標的になり、小早川隆景の猛攻を受け落城し、その後は毛利氏の城となりました。

1600年の「関ヶ原の戦い」では毛利氏は西軍に付いたため、徳川幕府が自分たちに味方して東軍に付いた小堀氏を松山城一時的な城代とし、その後は池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏が城主を受け継いでいきました。

戊辰戦争では、この城がある松山藩は朝敵とされ壊滅は免れない状態にあったのですが、時の執政の決断で城が崩壊することなく、無血開城に至っています。

岡山にある城の中でも不便な場所に存在していたため、1873年の廃城令以降は放置されていたようです。しかし近年、町内で修復する機運が高まり、1941年には天守と二重櫓、三の平櫓東土塀の三棟が国宝に指定され、他に重要文化財、城自体も国の史跡に指定されています。

2006年には日本百名城に選定され、現在に至っています。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

topback