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城主の北条氏照が切腹した八王子城

八王子城は、北条氏照が従来のこの地域の本拠であった滝山城の防衛に限界を感じたことにより、1571年頃から築城を開始したのが始まりとされます。その防衛に限界を感じたのは、1569年に武田信玄によって滝山城が攻められたことによるもので、落城には至らなかったものの落城寸前まで追い込まれたためです。
山頂には八王子権現が祀られていたため、その文字を取って八王子城として、現在の八王子市の命名にも影響を与えた城でもあります。名胡桃城占領という事件が惣無事令違反となり、それにより天下を狙う豊臣秀吉と北条氏の対立が明確となった後、小田原征伐が行われ、その際、上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊約1万5千人に八王子城は激しく攻められ、千人以上の死傷者と場内の婦女子たちが御主殿の滝に身を投じて自刃するという悲劇が起きた場所としても知られています。
なお八王子城は標高445mの深沢山に築城された中世的な山城としても築かれていますが、城全体が広大であり、1590年の小田原征伐時点でも未完成状態にあったとされています。小田原征伐が北条氏の降伏によって終結するとその責任をとり、城主であった北条氏照は北条氏政と共に切腹しています。
小田原征伐後の八王子城はそのまま廃城とされた後、現在では国の史跡に認定され発掘調査や復元工事がなされています。八王子市の観光名所としても知られ、石垣、曲輪、御主殿跡が現在も残存しており、往時の面影を偲ぶことも可能です。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ=かねこ 線画=かねこ 塗り=かねこ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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