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にゃんと?!また旅

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聖武天皇の命令で創建、行基菩薩を開基「飛騨国分寺」

奈良時代の天平年間は災害が多く疫病も流行ったため、聖武天皇は仏教による国家鎮護のため国分寺建立を命じました。

行基という高僧が東大寺造立の責任者となりますが、完成半ばで亡くなりました。朝廷は行基の死を惜しみ、その功績から彼を「行基菩薩」と呼ぶようになりました。飛騨国分寺はその行基菩薩を開基として七四六年頃に建立されました。

敷地内にある三重塔は、建立当初は七重塔として建立されたものが、焼失と再建を繰り返して今の姿になったものです。

この七重塔には、ある逸話があります。塔の建設を任された大工の棟梁が、柱を間違って短く切ってしまいました。棟梁の娘の八重菊は「柱の上に枡組(ますぐみ:木造の寺院建築などで、主に柱上にあって深い軒を支えるしくみ)を作れば美しくなるのでは」と父に教えました。 塔の出来栄えは評判でしたが、棟梁は自分の名誉を守るため、八重菊を殺して境内に埋めてしまいました。八重菊は父の為に、菩薩に女人の心願をかなえて欲しいと祈って自ら人柱となりました。

境内にそびえ立つ銀杏の木は八重菊の塚の上に植えられたもので、この銀杏に願かけをすると母乳が出るなどの言い伝えがあります。気根(空気中に出る根)を乳房に見立てて、「乳イチョウ」と呼ばれています。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=かねこ 塗り=海示

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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