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「不要」となり歴史に埋もれた城~引田城〜

安土桃山時代に全国でおよそ3000あったお城は、江戸時代にはわずか170ほどに激減してしまいました。そのきっかけとなったのが「一国一城令」です。これは、1つの国に1つの城を原則として、複数ある場合には取り壊されることにする決まりです。

一国一城令で廃城になった城は全国にたくさんありましたが、引田城もそのひとつです。引田城は讃岐国(今の香川県)に位置し、室町時代の末期、寒川元政の家臣である四宮右近の居城となりました。しかし右近は1570年、三好氏に攻められ、この城を明け渡すことになります。その後、仙石秀久の入城や長宗我部軍との戦い、度重なる改易を経て、1587年に生駒親正が引田城の城主となりましたが、親正はすでに讃岐一国を得ており、地理的に見て引田城が讃岐国の東側に寄っていたために、彼は居城を別に設け、引田城はその時点でお役御免の状態となりました。

一国一城令の後、引田城がいつ取り壊されたか記録は残っていません。

引田城は四国の海に囲まれた自然の要塞であり、そこから見る眺めは抜群です。歴史的に埋もれた城のひとつとなっていますが、石垣や遺構が残されていることから、文化財としての調査も期待されています。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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