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上杉憲政が北条氏康に攻められて落城した〜平井城〜

山内上杉家の居城である平井城は上杉憲実が家臣長尾忠房に命じて築城しました。そのころの山内上杉家は関東管領として将軍を補佐していました。関東管領とは室町幕府が置いた将軍を補佐する役目のことです。室町幕府は諸国の政務や治安のために一族を派遣していました。その時の将軍である足利基氏は初代将軍足利尊氏の四男で、1349年に関東に入って東国の管理をすることになったため鎌倉公と呼ばれます。その時の将軍がまだ10歳であったために補佐役として上杉憲顕がいたのです。しかしその後一時は足利尊氏の怒りを買って追放されたものの、その死後は足利基氏によって越後守護職として復帰を果たします。最初ほかの武将と兼任していた関東管領も罷免され、その後は上杉家が世襲していったのです。しかし1454年鎌倉公方である足利成氏がときの関東管領上杉憲忠を暗殺すると、上杉房顕は平井城へと居を移したのです。上杉憲政は関東官領の山内上杉家の上杉憲房の子として生まれました。1525年に父親で上杉憲房が亡くなった時まだ3歳であったことから、父親の養子である上杉憲寛が山内上杉家の家督を継いでいます。しかしそのころ扇谷上杉家と北条家が江戸湾支配をめぐり争っていたのです。小弓公方こと足利義明と連携し、さらには山内上杉家にも協力を仰いできたのです。そのため上杉憲寛は実の父・足利高基や、兄・足利春氏とも戦う羽目になってしまったのです。この戦いは関東享禄の内乱と呼ばれ、1529年にはその混乱に乗じる形で、1531年に上杉憲寛を責め立てて、追放に成功します。しかし長年争ってきた北条家の氏康に今度は逆に攻められることになり1551年上杉憲政は平井城を追われることになるのです。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ=かねこ 線画=かねこ 塗り=かねこ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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