base

にゃんと?!また旅

カテゴリー

youtube instagram facebook twitter

家臣に翻弄された城 ~堀越城〜

青森県弘前市には、いわくつきの城がありました。その名は堀越城。

津軽統一を目論む津軽為信は、この堀越城を前線基地として利用し、津軽を平定した為信は、堀越城に本拠地として、城下町の整備を始めました。関ヶ原の戦いで為信は、徳川方(勝者側)となり、結果的には領土を保てたのですが……

為信が関ヶ原に参陣中、手勢では兵が足りず地元の津軽に援軍を要請しました。これに応じて松野信安・尾崎喜蔵・多田玄蕃・板垣兵部将兼の4人の武将が手勢を率いて応援に向かいました。ところが、このうち尾崎・多田・板垣の3人が石田三成の勝利を信じて、為信の命令に従わずに謀反を起こしたのです。

3人は堀越城で番をしていた家臣たちを殺害し、ひととき堀越城を占拠しますが、関ヶ原で石田三成が惨敗したとの報が入るとたちまち勢いを失い、多田玄蕃が火薬で爆死したこともあり、一連の謀反はおさまりました。

こののちは安泰かと思われた2年後の1602年、為信が孫の顔に誤って大火傷を負わせてしまった事で、家臣の「天童四兄弟」が
城内へ斬り込むという事件が起こりました。この騒ぎは「天童事件」と呼ばれ、為信は堀越城は居城として不備があると感じ、あらたに高岡城(後の弘前城)を築き、そこに移り住みました。

1615年、一国一城令により堀越城は廃城となり、城の建物は破壊されてしまいました。津軽一族にとっては、あまり縁起の良くない城だったのかもしれません。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ=なかむら歌乃 線画=なかむら歌乃 塗り=夢山紗也佳

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

topback