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江戸の世に復活した坂上田村麻呂の因縁~一関城〜

岩手県一関市にあった一関城は、平安時代初期の七九四年に坂上田村麻呂が蝦夷討伐のために、一関市の高崎山に陣を張ったのが起源とされています。

鎌倉時代に起こった「奥羽合戦」で功績を挙げた葛西氏が、現在の宮城県三陸沿岸や岩手県南部にあたる「陸奥国」を所領とし、一関城があった高崎山も領有することとなりました。その後、葛西氏の家臣が一関城を築いたとされています。

しかし、葛西氏は1590年の小田原征伐に参陣しなかったため、蒲生氏郷や浅井長政等の奥州仕置部隊に降伏してしまいました。一関城はこの際、秀吉の家臣の所領とされたものの、葛西氏の旧臣たちの反乱を平定出来ず、結局は仙台藩初代藩主伊達政宗の所領となります。

一関城はその後、伊達政宗の叔父にあたる留守政景が城主となり、政宗の十男・宗勝が伊達藩から一関藩3万石をもらいうけて独立しますが、宗勝は放蕩三昧であった甥の仙台藩第3代藩主・綱宗を隠居させた「伊達騒動」の責任を負われ、身柄を拘束されます。

その後、政宗の正室の実家にして、かの坂上田村麻呂の末裔だった田村宗永が将軍・綱吉の側近でもあった縁もあり、田村氏が明治維新を迎えるまで11代にわたり一関城の城主を務めました。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=カタツモリ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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