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間違えて天守閣を取り壊された城~伊勢亀山城〜

三重県亀山市にある伊勢亀山城は、本丸を城郭の隅に配置し、周囲を土塁や石垣、堀などの曲輪で囲む「梯郭式」の平山城です。この城は鎌倉時代前期の1265年に伊勢平氏の流れを汲む伊勢関氏の始祖・関実忠によって築城された「若山城」が始まりとされています。別名「粉蝶城」とも呼ばれています。

関実忠の子孫・関盛政は、鎌倉幕府崩壊後に領地であった伊勢国に戻り、5人の息子たちを周辺の城に配して勢力を拡大しました。

関盛政は、鎌倉幕府崩壊後領地の伊勢国鈴鹿郡に戻り、長男の盛澄を神戸城、次男の盛門を国府城、三男の盛繁に伊勢亀山城、四男の盛定を鹿伏兎城、五男の政実を峯城に配し中勢地方や北勢地方まで勢力を拡大しますが、長島一向一揆に対する織田信長の長島侵攻により第16代当主関盛信が追放されるまで関氏の居城とされています。
その後、幽閉されていた関盛信が秀吉に追われる樋口直房の捕縛や1582年の四国征伐の功により伊勢亀山城に入城します。しかし、翌年に秀吉と対立した滝川一益に落城され、蒲生氏郷の家臣として再び入城し長男の関一政が与力大名として城主となりますが、九戸政実討伐の功により蒲生氏郷から白河小峰城を拝領します。

1604年には、再び関一政が入城し、堀尾忠晴が京都にあった丹波亀山城を修築させるはずが、間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊してしまいました。

その後も城主は入れ替わりながら1873年の廃城令まで存続しましたが、現在では、天守台や多聞櫓、石垣、堀、土塁などの一部が残されています。三重県では唯一の現存城郭建築になっています。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=カタツモリ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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