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新政府軍と戦った城~安藤信正の岩城平城~

福島県いわき市。JRいわき駅北口から徒歩数分以内に、とある平城跡があります。

ここはかつて岩城平城と呼ばれ、城下からよく見える崖の上には本丸には、美しい三階櫓が建っていました。その姿は、「磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」と詠われ、この地域の象徴となっていました。しかし、この城に待ち受けていた運命は悲しいものでした。本丸にあった美しい三階櫓は、戊辰戦争の敗戦で焼失してしまったのです。

岩城平城ははじめ、徳川家の家臣であった鳥居氏が築いた城です。その後、内藤氏、井上氏、と次々に藩主が代わり、やがて安藤氏が城主になって幕末を迎えました。当時の城主・安藤信正は磐城平藩に生まれ、順調に出世して老中にまで登りつめ、上司の井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されると、実質的に徳川幕府の最高責任者となりました。信正はそれまで井伊直弼が主張していた幕府の強権路線を転換し、公武合体策へと舵を切りました。

信正の努力により幕政が安定を取り戻すかに見えたその時、なんと信正自身が坂下門で襲われてしまったのです。背中に傷を負い表舞台から去った信正ですが、時代は再び彼を呼び戻しました。坂下門の事件から数年後、明治維新により新政府が発足しましたが、東北の諸藩はこれに反発し、奥羽越列藩同盟を結成して新政府に対抗したのです。

しかしそんな抵抗もむなしく、江戸城の無血開城により西日本の諸藩が続々と新政府に従うようになり、新政府軍はその勢いのまま東北地方に進軍しました。

この時、岩城平城で藩政を取り仕切っていた信正は、新政府軍に対して徹底抗戦の意思を固めたのです。磐城平藩の兵はわずか200名程度でしたが、士気は旺盛でした。岩城平城側には大砲もあり、2度にわたる新政府軍の攻撃をみごと撃退しました。しかし岩城平城側の抗戦もここまでで、岩城平城攻略のために新政府軍は大増援を実施したのです。戦況が不利に傾く中、信正は家臣の説得を受け入れ、岩城平城を脱出しました。城に残ったわずかな兵はやがて新政府軍の絶え間ない攻撃に退却を決意し、城に火をかけて撤退しました。そして岩城平城は炎に包まれ、ついにその姿をこの世から消しました。この戦いは当時、岩城平城を守備していた磐城平藩兵の実に4分の1が戦死するという激戦だったそうです。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
絵=磯嶺裕・ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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