秀吉出世のきっかけとなった?〜丹波の出石城〜


俗に言う「戦国三英傑」…信長・秀吉・家康はその知略や勇猛さ、そして運によって
全国各地のさまざまな城を落としていますが、
今回ご紹介するのは秀吉がまだ「羽柴秀吉」と名乗っていた頃に落とした城です。
当時秀吉は、信長から中国地方の毛利氏の但馬攻略戦を命じられていて、その攻略対象となったのが出石城でした。
出石地方は丹波国(兵庫県北東部)の南と北を結ぶ交通の要所であり、この地域を抑えることが戦略上きわめて重要でした。山の上に造られた出石城はかなり堅牢だったようですが、当時の秀吉にはかなりの勢いがあり、山名氏の抵抗も通じなかったようです。出石城を落とした秀吉は、この後鳥取などの山陰の攻略にも成功することとなり、この城の攻略をを土台として関西地方に大きな勢力を獲得することになりました。そういう意味でもこの出石城を落としたことは、秀吉の出世において意味があったのかもしれません。
秀吉は、出石城を最も信頼する弟・秀長に託していることからも伺えます。秀長はこの城を城代を遣わして管理していたようです。それだけこの地は大切なものだということでしょう。
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