領内の目付として機能した城~勝沼氏館〜


勝沼氏館は、日川右岸に存在する河岸段丘上に存在し、峡東方面を一望できる場所にあった城で、城塞機能を備ええています。この城は山梨地方が甲斐国と呼ばれていた室町時代、武田信玄の叔父・勝沼信友によって建築されました。
武田信玄の父・武田信虎の時代には本格的な館が築かれ、武田氏配下の郡内には有力な小田山氏が存在したため、小田山氏の目付の働きをする目的としても築かれたとされます。しかし、勝沼信友は、今川家と北条家の争い最中、今川家の援軍として戦いに参加し、山中湖畔で北条氏と争ったすえに討ち死にしています。
それ以降、勝沼氏館は信友の子・信元が受け継ぎ、武田信虎およびその子の信玄にも仕えています。その後、勝沼氏館はそのまま廃城になり、1981年に国の史跡に指定されました。
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