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島津家の攻撃に屈した城〜肝付兼続の肝付城〜

肝付城(高山城)は、現在の鹿児島県東部・肝付町にある山城です。この城を居城とした肝付家は大隅国の最大の領主で、肝付兼続の時代に絶頂期を迎えました。兼続は薩摩国の島津家との融和政策を行い、妹を島津家に嫁がせる一方で、自らも島津家の姫を妻として迎えました。その一方で大隅地方の平定に動き、いくつもの城と次々と攻略し、1546年頃には大隅の国をほぼ平定しました。

その後肝付氏は島津家と敵対し、ついに戦となりました。序盤は兼続の連戦連勝となり、島津貴久の弟である忠将を打ち取るなどして島津家を追い込んでいきます。しかし1566年、島津家の反攻を受け肝付城肝付城は陥落、兼続は行方がわからなくなりました。

その後も肝付家は大隅国を治めましたが、家督を譲った兼続の長男・良兼も1571年に病死、後に家督を継いだ良兼の弟・兼亮は島津家に抵抗を続けたために家臣達の反感を買い追放されてしまいます。その後、肝付家は阿多に移封(=他の領地へ移されること。国替え。)され、肝付城は廃城となり、約400年の歴史に幕を下ろしました。
こうして歴史の表舞台から姿を消す事となってしまった高山城ですが、山城の中では規模が大きく立地にも優れていました。

現在は国の史跡となっていて、櫓や館などの建物は残っていませんが、「大手門」、「搦手門」の跡には看板が立っていて、本丸、二の丸、三の丸などの跡も区別しやすいようになっています。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
絵=磯嶺裕・ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。