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大久保忠職がきっかけで廃城になった〜騎西城〜

埼玉県加須市にある騎西城。
1632年に廃城となり、最後の城主は、大久保忠職(大久保忠隣の孫)です。こざっぱりとした佇まいの模擬天守内部は、歴史資料館になっています。
築城年ははっきりしていませんが、この地域の重要な城の一つとして、戦国時代、関東一円に勢力を広げた後北条氏と、越後から遠征して来た上杉謙信との間で、幾度か争奪戦の舞台となりました。
豊臣秀吉の小田原征伐によって後北条氏が滅んだあとは、徳川方の城の一つとなり、徳川一族の松平康重が城主となりました。
その後、関ヶ原の戦いの翌年、1601年に、徳川譜代の若手エリートというべき大久保忠常が、新たな騎西城主となります。
忠常は徳川譜代家臣のなかでも屈指の重臣・大久保忠隣の嫡男でした。
徳川家康のみならず、二代将軍となる秀忠からも目を掛けられており、将来、幕閣の柱として期待されるほどだったのですが、騎西城に入ってからちょうど10年後となる1611年、32歳の若さで亡くなってしまいます。
徳川家中で権勢を誇っていた大久保忠隣でしたが、期待をかけていた優秀な嫡男を喪い、意気消沈のうちに役儀を疎かにするようになり、他の重臣たちから非難されるようになります。
騎西城の新しい城主は、亡くなった忠常の嫡男・大久保忠職(大久保忠隣の孫)。
まだ幼い孫を祖父・忠隣が支えますが、ある陰謀に加担したかどで改易となってしまいます。孫・忠職もその影響で処罰の対象になりますが、やがて許され、美濃加納城へ移封となりました。
それと共に、騎西城は城としての役目を終え、廃城へ…。幕府重臣の流転を知るのは、城の木々ばかりかも知れません。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ=かねこ 線画=かねこ 塗り=かねこ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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