base

にゃんと?!また旅

カテゴリー

youtube instagram facebook twitter

秀吉が初めて城持ちとなった地 ~長浜城~

1570年に行われた浅井・朝倉軍との決戦であった姉川の戦い後、浅井家・朝倉家を滅亡させ破竹の勢いを誇る織田信長より、功として羽柴秀吉に湖北三郡が与えられます。羽柴秀吉が湖北三郡を拝領したことで、この地に城下町を移して城を築いたのが長浜城です。
元々はこの地には出城があったのみで今浜と言われていたのですが、信長の長の字をもらい受け、長浜として本格的に城の体裁を整え、湖北三郡を治める城下町を整備しました。この築かれた長浜城の初めて城主になったのが羽柴秀吉で、その後、本能寺の変が起こりますが、織田家の後継者を決める清州会議が開かれ、この地には柴田勝家の甥にあたる柴田勝豊が入城することとなります。
柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いの際には、長浜城は羽柴秀吉に攻められ降伏することとなり、賤ヶ岳の戦いではここを本拠地として戦いに勝利します。その後は、家臣である山内一豊も6年間長浜城を治め、江戸時代になっては徳川家康の家臣・内藤信成が入城します。
その内藤信成の子の世代になって高槻城に移転と共にこの地が彦根藩に組み入れられ、彦根城を拠点とすることから廃城になった経緯があります。なお廃城になるにあたって、長浜城の大半の建物は彦根城を築城する上で使用され、彦根城の天秤櫓は移築されたものと伝わっています。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ=かねこ 線画=かねこ 塗り=かねこ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

topback