尚巴志の琉球に統一され落城した〜南山城〜


沖縄本島が北山、中山、南山の3つに分かれて治められていた「三山分立時代」
沖縄県糸満市字にある南山城は、別名「島尻大里城」と呼ばれ、当時の沖縄本島南部を支配していました。
琉球王朝の正史「中山世譜」によれば、この城は尚巴志が沖縄本島を統一した際に、最後に攻略した城と伝えられています。尚巴志は居城を大里城へ移すとともに、中山王・武寧がいる浦添城を滅ぼし、自分の父である尚思紹を中山王につけました。
中山を制した尚巴志は北山攻略へと乗り出していきます。当時の北山王は独裁政治で家臣にも不満を抱かれていて、多くの武将が投降したため、尚巴志は北山を制覇できました。
残る南山王も人民をかえりみない悪政を行っており、人心はすでに離れていました。攻められた当時の南山王は亡命し、南山城は落城しました。こうして尚巴志はついに琉球全土を統一したのでした。
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