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にゃんと?!また旅

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ヤマトタケルと縁が深い「能褒野王塚古墳」

三重県亀山市田村町にある能褒野王塚古墳はヤマトタケルの墓として宮内庁に定められています。ヤマトタケルは景行天皇の皇子で、父の命を受け九州の熊襲や、東国の蝦夷の征服を行いました。
彼は熊襲征伐で女装をして奇襲をかけたり、東方の蝦夷征服で草薙剣を使って火攻めから逃れたり、様々なエピソードを持っています。
草薙剣は斎宮である叔母の倭姫命から託された剣で、それで草を薙ぎ掃う事によりヤマトタケルは火攻めから逃れることができました。また、その地は焼津と呼ばれるようになりました。元々はスサノオが退治したヤマタノオロチから生まれた剣です。

ヤマトタケルは東国の平定後、伊吹山の神を討ち取ろうとしましたが、この時は素手で神様を倒そうと、草薙剣を美夜受比売に預けて出かけてしまいました。(その後、この草薙剣は熱田神宮の神体となりました。)

ヤマトタケルは伊吹山で神が降らせた氷の雨にうたれて衰弱し、故郷の大和を目指しましたが「私の足は 三重にくびれた 餅のようになった」と嘆き、亡くなってしまいました。このことから、この地を三重と呼ぶようになったそうだ。
訃報を聞いたヤマトタケルの妻子がその地に陵墓を造り、彼の死を嘆き悲しんでいると、ヤマトタケルの魂は白鳥となり、大和の方へ飛んで行ったそうです。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=うみにゃ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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