base

にゃんと?!また旅

カテゴリー

youtube instagram facebook twitter

支配が繰り返された東国の要衝~真田昌幸・信幸父子の沼田城~

現在の群馬県にある沼田地方は、戦国時代の北関東地方の要衝、つまり軍事上の重要な拠点であったために、北関東でも争いが激しい場所であり、主に上杉氏や武田氏、北条氏の間でその支配権が争われていました。

元々はその名の通り沼田氏の管轄であり、沼田氏によって築城された城でした。後に沼田氏がお家騒動で混乱する中、一時上杉氏によって支配されますが、今度は上杉氏によるお家騒動、通称「御館の乱」によって北条氏が制圧します。しかし、同年に上杉氏と武田氏による「甲越同盟」が成立し、上杉氏の承認により武田氏が沼田攻略を開始します。

ここで沼田攻略の命を受けたのが真田昌幸・信幸の父子です。昌幸は調略をもって沼田城を無血開城させる事に成功し、昌幸は謀略によって沼田氏当主を殺害、これにより沼田氏は滅亡しました。その後、昌幸たちの主君であった武田氏も滅亡し、武田領は織田氏によって統治されますが、本能寺の変により織田信長が失脚し、北関東はまたも波乱の渦に巻き込まれる事となります。

その頃の沼田城は北条氏に降った昌幸・信幸の元で支配されていましたが、ここで再び徳川氏と北条氏の沼田領帰属問題が起こります。昌幸はどちらへの帰属も拒否し、上杉氏の傘下に入ります。この事が原因となり、この後何度も徳川氏や北条氏の侵攻にあうのですが、いずれも退けています。その後は豊臣秀吉による小田原征伐等で一時的に真田家からは離れたものの、戦後処理において再び真田家によって統治される事となりました。

このように、北関東の重要な拠点であった沼田城は、幾度となく奪い、奪い返された城であった事が伺えます。その中で渦中にあった真田家の奮闘は、歴史的にも強く印象を残していると言えるでしょう。なお有名な武将である真田幸村は昌幸の息子であり、信幸の弟に当たります。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
絵=磯嶺裕・かねこ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

topback