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にゃんと?!また旅

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石田三成の攻撃に耐えた忍耐の城 ~成田長親の忍城~

豊臣軍による北条への侵攻、通称小田原征伐。1590年天下統一の為に豊臣秀吉は大軍を率いて、北条家の治める関東平野に侵攻しました。豊臣軍は北条方の支城を落としながら小田原に向け進軍し、その途上にある忍城にも攻め込みました。総指揮を任せれたのは石田三成、後の関ヶ原の戦いが有名な武将です。
城主の成田長親は堅固な自然を要塞として、籠城策を取ります。石田三成はこれを攻めあぐねて策を練りました。そこで考え出したのが主君である秀吉が得意とした水責めの戦法です。5日間で28キロメートルにもなる堤防を築き上げ、利根川の水を流し込み水責めを慣行します。しかし水量の不足や破壊工作による堤防の決壊で、失敗に終わってしまいます。城攻めに苦戦する三成のもとに浅野長政と真田昌幸、信繁親子が援軍に駆けつけます。再度総攻撃を掛ける三成ですが、ここでも城兵の必死の抵抗に会い忍城を攻め落とすことはできませんでした。
結局先に本拠地である小田原城が落城し北条家が滅亡してしまいます。ほかの支城もすべて落ち、忍城は最後まで落とされることなく残ることになります。滅亡の知らせを受けた成田長親は軍議を開き、一度は籠城を続けようとしましたが7月16日に開城をしました。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ=かねこ 線画=かねこ 塗り=かねこ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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