本多忠勝が菩提所として建立した「良玄寺」


千葉県大多喜町にある良玄寺は、本多忠勝が菩提寺として建立したと言われています。本多忠勝は徳川家康を支えた重臣で、徳川四天王の1人とも言われる重要人物です。数々の戦においても、傷ひとつ付けられることは無かった武将としても有名です
建立されたのは1590年ごろといわれていますから、関ヶ原の戦いの10年ぐらい前です。当時は良信寺という名前であったようですが、後になって忠勝の孫にあたる本多政朝が寺の名を、父の忠朝の法名をとって良玄寺と改めたとも伝えられています。
本多忠勝といえば鹿角の肖像画が有名ですが、それを所有しているのがこの良玄寺とされていますから、やはり本多忠勝由来のお寺であると言えましょう。
本番の戦では傷をひとつも負わなかった忠勝でしたが、亡くなる数日ほど前に、小刀を使っていた時に手が滑ってかすり傷をつけてしまい「おれも傷を負ったら終わりだな」と呟いたという逸話があります。
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