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武田氏の駿河侵攻に利用された〜賤機山城〜

賤機山城は南北朝騒乱の時代、北朝側で駿河に入国した今川氏が南朝方の安倍城に対抗する形で築いたとされています。南北朝時代が終了すると、今川氏が駿河の統治を行い、別の場所にある駿府城に拠点を設けていたため、賤機山城はその「詰め城」として機能していました。「詰め城」とは有事の際に戦闘員が待機する場所のことで、城を防御する機能に特化していました。

賤機山城は、山の尾根を利用した山城でした。ただ、「今川氏の」詰め城として実戦に利用されたことはなかったようです。それどころか、1568年の武田信玄による駿河侵攻の際には、賤機山城が武田氏の陣所として利用され、武田氏は駿府の今川氏館を焼き尽したとされています。この場所は今川の領地の中でも甲斐国寄り(北側)に位置していたため、今川を攻撃する武田軍の陣所として適切な位置にあったのでしょう。

今川侵攻以降は武田氏の城となり、武田氏が滅亡すると徳川家康が所有し、南の今川氏館跡地にあらたに駿府城を築き、それと同時に賤機山城は廃城となりました。

賤機山城は賤機山でもっとも高い場所に曲輪を設けていて、そこから静岡平野を一望することができます。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=夢山紗也佳 塗り=ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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