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豊臣秀吉が母の延命を願った「多賀大社」

滋賀県犬上郡多賀町にある多賀大社は、古くから「お多賀さん」の名で親しまれている神社です。日本の国土と八百万の神を生んだとされる伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱を祀っています。全ての命の親神を御祭神としていることから、「延命長寿、縁結び、厄除け」の神様として信仰をあつめているのです。

多賀大社は、室町時代中期から近世にかけて、伊勢や熊野とともに、庶民の参拝で賑わいを見せた神社でした。お守りとして授けられるしゃもじは、「お多賀杓子」と呼ばれて、「お玉杓子」の名前の由来と言われています。

※元正天皇がご病気を患った際、当社の神主が強飯を炊き、 しでの木で作った杓子を献上した所、天皇がたちまち治癒されたという。

中世にかけては武家や民衆にも広く信仰が広まりました。鎌倉時代の僧、重源が東大寺再建を志し、成就祈願に伊勢神宮に参拝したところ、夢に天照大神があらわれ「事業成功のために寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」とお告げがあったのです。お告げのとおり多賀大社を参拝したところ、寿命が伸び、無事再建を果たしたという伝承があり、多賀大社は長寿祈願の神社として信仰をあつめているのです。

多賀大社は、豊臣秀吉と縁が深い神社としても知られています。1588年、多賀大社に信仰が厚かった秀吉は、この神社で母である大政所の病の平癒と延命を祈願しました。

秀吉「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも…」

その祈願が成就すると、秀吉は社殿の改修を行って1万石を寄進しました。この時に作られたのが、境内正面の石造りの太閤橋と奥書院庭園といわれています。

江戸時代の1615年に火事により社殿が焼失しますが、1633年に、徳川家光によって再建が命じられ、5年後に再建が完了しました。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=鈴木裕美 塗り=うみにゃ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。