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にゃんと?!また旅

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被葬者に複数の説がある「高松塚古墳」

古墳は古代東アジアにおいて豪族など権力者の墓として盛んに作られてきました。
時代によって古墳の形状は違いますが基本的には円形か方形からなっています。
鍵穴のような形で有名な前方後円墳は円と方の組み合わせから作られています。

高松塚古墳は7世紀後半から8世紀初頭くらいの飛鳥時代に築造された円墳です。
20メートル前後の円が二段に重ねられた比較的地味な古墳だったのですが、1972年に極彩色の壁画が発見されたことで注目が集まるようになりました。

飛鳥時代の古墳は被葬者が特定できないものがほとんどですが、高松塚古墳は大きく、天武天皇の皇子説、臣下説、朝鮮半島系の王族説の3つの説に分類されています。
特に主張者が多いのは中大兄皇子の名称で有名な天智天皇の弟天武天皇の皇子説です。

天武天皇の皇子は何人か存在が確認されていますが、高松塚古墳から出土した被葬者のものと思われる歯やあごの骨からは40代~60代の初老の人物と推測されています。
最も有力なのはちょうどその辺りの年齢で死亡したとされている天武天皇の最年長の皇子である忍壁皇子(おさかべのみこ)だと言われています。
とはいえ、どの説にも確固たる証拠は無いため真実は謎のままです。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=鈴木裕美 塗り=カタツモリ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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