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城主を失った天空の城 ~赤松広秀の竹田城~

天空の城としても名高い竹田城の築城は、史跡・竹田城によると1431年に山名宗全によって築かれた城となっています。室町時代には、6代将軍であった足利義教が播磨・備前・美作守護であった赤松赤松満祐に暗殺されたことに伴い、幕府が赤松満祐に対する追討軍を結成し山名宗全が志願し、以後赤松氏の掃討戦の拠点となったのも竹田城です。
山名宗全が赤松満祐を滅ぼした恩賞により播磨を与えられ、山名宗全は太田垣氏をこの城の守護代に任じ、以降は戦国時代、安土・桃山時代を通じて太田垣氏が城主として治めています。1573年には中国地方の拡大をした毛利氏が但馬の国に迫り太田垣氏が降伏すると、今度は丹波の赤鬼である萩野直正がこの城を奪い入城します。
また後年、竹田城を舞台にして毛利氏と織田氏が争う中で、織田氏が優勢になり、この城に羽柴秀吉の弟である羽柴秀長が入城することとなります。羽柴秀長の武将である桑山重晴が一時的に竹田城の城主となりますが、最終的には羽柴秀吉に投降した赤松広秀が城主に任じられ、その代に盛んに改修が施され、それによって城の威容が現在の状況へ整備されます。
関ヶ原の戦いでは赤松広秀は西軍側につき、舞鶴城を攻めるが西軍の敗北により、徳川家康の命を受けた山名豊国に城を明け渡すこととなります。室町時代の築城から関ケ原の戦い終了まで竹田城は但馬や播磨の統治拠点になった城ですが、徳川幕府の方針により廃城となり、その役割を終えます。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ=かねこ 線画=かねこ 塗り=かねこ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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