龍になった南祖坊と八郎太郎の戦いで生まれた?「十和田神社」


青森県十和田市、十和田湖の湖畔にある十和田神社は青龍権現や熊野権現とも呼ばれ、この縁起には2通りの説があります。
一つは坂上田村麻呂が創建したとの説で、807年、征夷大将軍だった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東夷征伐の際に十和田湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願してイカダを組んで渡りました。その時建てた祠が十和田神社の始まりと伝えらているものです。
もう一つは南祖坊(なんそのぼう)にまつわるお話です。
熊野で修業をしていた南祖坊は熊野権現から「この草鞋を履いて諸国を修行し、草鞋が切れたところを棲家とせよ」と言われ、鉄の草鞋と錫杖を授かりました。その草鞋が切れたところが十和田湖だったのです。ところが、十和田湖にはすでに秋田のマタギ・八郎太郎が龍に姿を変えて住み着いていました。湖を支配していた八郎太郎と南祖坊の間で、七日七晩にもおよぶ激しい戦いとなりました。
南祖坊は霊験により九頭の龍に変化し、身体を十曲(とわだ)に曲げ、八つ頭の龍となった八郎太郎を退治したという伝説が残っています。勝利した南祖坊は十和田湖へ入寂し、龍へと姿を変え「青龍大権現」として祀られることとなりました。境内の祠には南祖坊が履いていた鉄の草鞋が奉納されています。
坂上田村麻呂の説が正しいのか、南祖坊の説が正しいのかは定かではありませんが、
歴史のロマンを感じることができるお話です。
※ 各記事の情報は取材当時のものです。