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徳川家の家臣たちを慰める血天井で有名な「養源院」

京都市東山区にある養源院は浄土真宗遣迎院派のお寺で、豊臣秀吉の側室だった淀殿が、父や祖父の供養のためにと願い出て建立された浅井氏の菩提寺です。1619年に一度火災によって焼失しましたが、1621年に再興されました。以後は徳川家の菩提寺も兼ねるようになっています。

日本には戦国時代を戦った武将の血がついた床板を供養のために天井板に張り替える「血天井」と呼ばれる文化がありますが、養源院にも血天井があり、これは『関ヶ原の戦い』の前哨戦とも呼ばれる『伏見城の戦い』で城を死守するために戦って自刃、または討死した武将たちを供養するために作られたと言われています。

『伏見城の戦い』は、徳川家康が会津を攻めるにあたって手薄になった伏見城を、石田三成や宇喜多秀家らの反徳川連合の軍勢約4万人が攻めた戦いで、このとき城に残されていた留守居の兵は僅か1800人ほどでした。守備軍は鳥居元忠を総大将として、大軍勢を相手に10日以上も奮闘を続けましたが、謀略などの攻城作戦を前に徐々に衰退、伏見城は陥落します。
その時多くの守備軍の武将は討死や自刃に斃れ、その遺体は約2ヶ月ものあいだ放置される結果になりました。血痕は床板に染みつき、いくら洗っても落ちなくなってしまったと言われています。

この床板は、徳川家の武将たちを供養するためにと、その後京都各地のお寺に持ち運ばれてゆきました。養源院にある血天井もこのひとつです。後の『関ケ原の戦い』を経て訪れた徳川の世は、伏見城で散った武将たちの願いが引き寄せた太平の時代だったのかも知れません。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 線画=鈴木裕美 塗り=うみにゃ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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