吉川広家が作った山陰一の名城〜米子城〜


米子城は中国地方にある山陰一ともいわれる名城です。
何しろこの城はあの毛利元就の孫の吉川広家が作ったといわれている城で、江戸時代には米子藩の藩庁ともなった城です。
吉川広家は毛利元就の次男の吉川元春の子供で、吉川元春は築城の名人ともいわれていた人ですから、その才覚を継承していたのかもしれません。
この米子城は海も利用していて、堀には海水を入れて防備を強化しており、地形をうまく利用した名城でした。
天守は高さ21メートルにもなり、本城であったとも考えられる鳥取城を凌ぐものともなっていて、実質的に山陰一のものとなっていたとも考えられます。
この米子城近辺では、過去に毛利氏と尼子氏との間の激戦もあったので、場所的にも重要な拠点となることが考えられたのでしょう。
山陰地方は戦国時代としては比較的戦が少なかった地域ではありますが、尼子氏と毛利氏との間の戦はここでも行われました。
米子は海に面していて、交通の要所でもあったことから、山陰地方では発達した街となりましたから、ここを重要な拠点と考える武将が出てきたわけです。
毛利氏がここを支配下として毛利水軍の一つの拠点として使うようになったのもこの地の重要性が分かっていたのでしょう。
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