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にゃんと?!また旅

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毛利氏が山麓に築いた〜吉田郡山城〜

吉田郡山城は、毛利時親公が地頭としてここに移り住んだのが始まりとされます。この頃の日本はそれまで全国を治めていた前北条氏が滅ぼされ、後醍醐天皇を中心とした「建武の親政」が行われていた頃です。

当初は合戦に活用される程度の小規模な砦で、毛利家当主が代々この城を拠点としていました。その後も規模の拡張があまり行われていませんでした。

時は流れ、戦国時代初頭の1540年頃、毛利元就が尼子氏約3万人の大軍に攻められるという危機をこの城で迎え撃ち、この時に山麓全体を要塞化して地元の住民約8000人を城内に迎え入れて籠城し、敵を撤退させたと伝わっています。それをきっかけにして城を改修し、この城は毛利氏の領土拡大に一役買いました。

毛利元就亡き後、毛利輝元の時代にあってもそのまま使用され続けましたが、この城の位置が山奥深い山城で交通事情も悪いため、広島の平野部へ城の普請を始めました。

毛利輝元は1591年に新しく「広島城」を築き、本拠地をそこへ移転しました。吉田郡山城は引き続き「詰めの城(詰め所)」として残っていましたが、関ヶ原の戦いに勝利した
徳川幕府の「一国一城令」により取り壊されました。

取材・記事・編集=磯嶺裕・佐々木ひろこ・やすざえもん・ms-work(ミューズワーク)
 コンテ=磯嶺裕 ラフ・線画=夢山紗也佳 塗り=ツグイワチホ

※ 各記事の情報は取材当時のものです。

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