伊達政宗の国づくりへの熱い思いがこもった「瑞巌寺」


瑞巌寺は宮城県宮城郡松島町にある、平安時代に建てられた臨済宗のお寺で、国宝に指定されています。日本三景の松島からほど近い場所なので、松島へ観光に行くついでに寄ることができるお寺です。本堂のほか、国宝の庫裡(仏教寺院における台所のこと)、また絵画や出土品、その他資料などを展示する宝物館(青龍殿)もあります。
このお寺は伊達政宗によって維持管理されていました。関ヶ原の戦い以降、仙台を拠点とした伊達政宗は、居城となる仙台城の造営を行った際に寺社仏閣の造営も併せて行っています。伊達政宗は幼少のころに、父親が呼び寄せた僧から仏教や漢字を教わりました。このことから、仏教の深い素養のあった政宗は、大名となったときに神社やお寺を守っていこうと決めたのではないでしょうか。
瑞巌寺は特に心血を注いで造営されており、使用する木材を紀州の熊野の山中から切り出し、日本中で評判の高かった名工130人を松島に呼び寄せて造営しました。工事の時には宮大工に土足を禁じたり、土に落とした釘やかすがいなどの使用を禁じるなど、その経緯に政宗の意気込みが感じられます。本堂は仙台城大広間と同じような構造で、政宗が座る上段の間の脇に一段高い、皇室奉迎のために造られたと伝わる上々段の間があります。この点は秀吉が京都に築いた聚楽第と似ています。
伊達一族の厚い庇護を受け、110余りの末寺を有するなど、仙台藩の中では最大規模のお寺となりました。政宗が国を造るにあたって整備した仏教への思いを感じ取ることができます。瑞巌寺の再興に先立って伊達政宗が再建した五大堂は東北地方最古の桃山建築と言われています。
瑞巌寺のシンボルの参道の杉並木は、津波の塩害で300本ほど伐採されました。
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